2月28日から3月2日。嵯峨小学校「花校路」。嵯峨小学校6年生全員がいけた、嵯峨御流のいけばな。
この様子は嵯峨小学校のHPに掲載されていますのでご覧ください。
http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=110402&type=1&column_id=950408&category_id=2044
この写真は嵯峨小学校HPより。向かって右は草津栄晋総務部長、左は年2回の授業を担当された嵯峨御流の島満甫教授。
嵯峨小学校では、毎年2度、6年生全員が大覚寺を訪れ、いけばな体験をされています。そして、この体験を生かして、卒業制作として学校の廊下を端から端までいけばなで埋め尽くす「嵯峨小学校花校路」を毎年自分達でいけあげられるのです。
10年以上、毎年開催されているもので、今年も楽しみに3月2日に拝見して参りました。
中村貴子校長先生にご案内頂き、「花校路」の隣の部屋に展示された、「嵯峨百人一首『こもれび殿」」も拝見。部屋一面に約90名弱の歌かるたが展示されていました。いけばなを体験したことが歌になっている句を、先生のお許しを頂いて写真に撮らせて頂きました。どの句も、自分達が体験した<嵯峨の宝>である、伝統文化やかけがえのない美しい自然など、誇りに思う事を素直に歌にしていて心から感動しました。地域の歴史を知り、自分が関わる風景を愛する気持ちを、いけばなで表現された嵯峨の子供達。これからの人生に、花がもたらす喜びを世界平和に役立ててほしいと思います。
【嵯峨小学校の校章・校旗の由来】
昭和47年発行の、嵯峨小学校創立100周年記念史「嵯峨小学校百年の歩み(年史)」によると、「嵯峨の地における教育の沿革は、室町時代以前のごく古いことはしばらくおき、江戸後期においては旧嵯峨御所大覚寺が民政、教育の本源であったことを、古記録でうかがうことができる。文化年中に至って、初めて大覚寺に学問所が創設され、准三宮瑜伽定院がたいそう儒学を重んじられて、儒官(漢学を教授する役人)野口左門という人に子弟の教育に当らせ、(中略)・・・大覚寺学問所はその後閉されたが、この精神はやがて新学制による嵯峨校に継承された。後年定められた嵯峨校校章の山山の図案も、校旗に表された桐竹の模様も、旧嵯峨御所大覚寺蒔絵の桐と鳳凰竹に由来するものであるという。」とあります。明治5年に学制が発布され、嵯峨地域に初めて小学校ができたのがその年8月に開校した「上嵯峨校(後の嵯峨校)」、翌年3月に「嵐山校」ができた、ということです。