いけばな嵯峨御流

上賀茂神社御遷宮に際し、10月17日 嵯峨御流献華式が行われました

11時より、厳かな神域を進列が進み、国宝の本殿の直前にて献花式が行われました。

正遷宮が15日夜中におこなわれ、翌16日の奉幣祭を終えられたあと、17日の献華式はこれから始まる約1か月余りの奉祝行事の初めとなります。

本殿へ至る扉の内側で、非公開での神儀でした。

門跡猊下お手替わり 草津栄晋僧正様、献花者の服部孝月先生・西村強甫先生、垣花悦甫先生、そして京都地区連絡協議会7司所長と司所の有志の方々。50名余りが、無事 栄えある献花を務めさせていただきました。儀式が滞りなく行われるその陰に、多くのご支援があり、そして当日を迎えられましたことに心からの感謝の気持ちで一杯です。

式典終了の後、田中安比呂宮司様から頂いたお言葉の中に、深いご縁のお話がございました。

上賀茂神社で献花式をされたのはこれが初めてとの事、また、嵯峨天皇様の第8皇女有智子(うちこ)内親王様が大同4年(809年)に4歳で賀茂斎院に卜定され、以来、斎院の制度ができ、歴代天皇が斎王を立てられるわされるようになったという歴史。平安時代の勅祭であった賀茂祭が応仁の乱以降一時中断され明治17年に復興されて葵祭となり、昭和になってからは斎王代として京都在住のご令嬢から選ばれるようになったというお話。上賀茂神社独特の事として、本殿と権殿が常に設けられていて全ての調度品などは1対でそれぞれに準備されていること。

 

また、古より賀茂の祭には必ず飾られ徳川家の紋所「葵の御紋」にもなっている二葉葵の葉、この「葵」は古語で「あふひ」と表され、ひ は神、すなわち神様に会うという意味が込められているということを教えて頂きました(祭では、神様に会いに行く という意味を込めて行列の人々が二葉葵を身にまとうのだそうです)。祭の度に大量の二葉葵が必要になるそうで、山に植えても育てるのが難しいらしく、京都だけではすべての葵を供給することは難しく、今は福井県で研究を重ねて育てられた葵をお使いになるそうです。その福井の葵を、京都の染織家の々の長年のご苦心で草木染の染料にし、正遷宮に合わせて几帳や様々な染物が奉納されたとの事、その貴重なるお品を拝見させていただきましたが、鶯色に近い神秘的な美しい色です。古代の色帳には載っていない色とのことで、宮司様が「葵の想い」と命名なさったと伺いました。

 

草津部長様から、このようなお話も出ました。大覚寺に元あった「四季耕作図」の屏風がどういう理由かアメリカのミネアポリス美術館に渡った。美術館では、これがどこのものかを調査し、ふすまの引手を手掛かりに日本へ問い合わせたあり、その引手はまさしく大覚寺独特のものだということがわかり、大覚寺古文書の中にも確かに昔四季耕作図屏風があったことが確認されたのです。

その引手の文様とは、周りを菊の花が取り囲み、中央に葵の御紋が描かれたもの、これは「大覚寺引手」と呼ばれているのです、というお話をなさいました。

 

田中宮司様、藤木権禰宜様と、さまざまなお話しを交わすうちつくづくと、畏れ多いご縁の数々に感動し、嵯峨の花はこのような歴史の流れの中で育まれているものだということが、改めて心に深く響きました。

 

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服部孝月先生

 
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西村強甫先生

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