いけばな嵯峨御流

『光る君へ』を愛する皆様にも、、、

池に竜頭鷁首の船を浮かべて舟遊びをされた平安時代の天皇様の御殿を想像することができる風景が、京都嵯峨「大覚寺」です。『光る君へ』ファンの皆様はお立ち寄りになられてはいかがでしょう。
 
池の北側には、藤原公任が
「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」
と詠まれた名古曾の滝跡の石組みがあります。
源倫子や藤原彰子に仕えた女流歌人の赤染衛門は、
 「あせにける いまだにかかり 滝つ瀬の はやく来てこそ 見るべかりけれ」と詠みました。
 (勢いが衰えてきた今でも、岩にかかる滝の流れを人は早く見ておいた方がいいと思います)この歌からすると、衰えて往時の音は聞こえないが、少しは流れていたことが伺えます。
 
そして嵐山は嵯峨のすぐ隣。大覚寺前から28番京都市バスが嵐山に直結していますが、歩いてでも行けます。
嵐山のシンボル渡月橋は、地図を広げると、大覚寺と法輪寺(https://www.kokuzohourinji.com/)を結ぶ一直線上にあるのです。
平安時代にできた、今は渡月橋と呼ばれるこの橋、嵯峨天皇が離宮嵯峨院から法輪寺へ虚空蔵菩薩を拝まれる行幸に際して架けられた事から、元は法輪寺橋、やがて御幸橋(みゆきばし)と称されたと、法輪寺御住職にお話を伺いました。古書にも記されています。
 

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