いけばな嵯峨御流

天神島から名古曾橋を渡り、名古曾の滝跡へ散策

5月30日。大沢池畔を散策。
 
お堂の回廊を五大堂の観月台まで行くと、そこから直接大沢池に降りることができます。
 
小さい方の池「放生池」の取水口には湿地を好む半夏生と石菖が力強く育っていて、半夏生は6月の終わりから7月の初め頃には白い花が咲き、そのすぐ下の葉が同時に半分ほど白くなる様子が見られる事でしょう。
 
赤い橋の袂から左側を見ると、まだ葉ばかりの白蓮の群れ(まだ花は咲いていません)。
 
赤い橋から右側の大沢池には白い花の睡蓮。
 
天神島へ渡り、天神社をお詣りします。嵯峨天皇の離宮嵯峨院であった今の大覚寺が、皇孫の恒寂入道親王を開山として貞観18年(876)に大覚寺が開創されるおりに、創建のための清和天皇への上奏文を起草され尽力されたのが菅原道真公であられたことから、天神社が祀られていて、島は天神島と呼ばれています。また、菅原道真公は大覚寺の別当を務められたとも伝えられていて、深いご縁があることが伺えるのです。
 
令和6年2月に竣工した「名古曾橋」を渡って名古曾の滝跡方面へ。天神島から名古曾の滝跡への橋は、鎌倉時代の古絵図に既に描かれていたので、この度の再建は700年来となるそうです。長さ15メートル、幅2メートル、木曽檜の太鼓橋です。橋の竣工に合わせて、「きざはし」という花器を嵯峨御流が発表しましたので、こちらの記事もご覧くださいませ。
 
 
滝跡へは中世の遣水の遺構とその周りに広がる芝生の野原を通って行きます。可愛い野の花が沢山!
シロツメグサの合間にピンクの庭石菖など咲いて愛らしいものですね。
野の風情が、この旧嵯峨御所の中には溢れています。京都の中でも、平安時代の雰囲気を味わえる希少な場所といえます。
 
名古曽の滝跡。平安時代の歌人、藤原公任が「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠まれたことから、名古曾の滝跡と呼ばれるこの滝跡は、平安時代にこの場所が離宮嵯峨院であった頃からここにあり、今も変わらず在り続けています。

半夏生と石菖

睡蓮

白蓮の立ち葉

天神島から菊ヶ島を臨む

シロツメグサとニワゼキショウ

名古曾滝跡

名古曾蓮

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