いけばな嵯峨御流

3月4日~6日まで、嵯峨小学校6年生84名が卒業発表花展「花校路」を開催され、拝見してきました

2月16日、嵯峨小学校6年生84名全員が、担任の先生に付き添われて大覚寺・華道芸術学院に華道嵯峨御流の体験に来られました。

この様子は嵯峨小学校のHPに掲載されていますのでご覧ください。

http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=110402&type=2&category_id=4453

 

そして、このいけばな体験を生かして、卒業制作として学校の廊下を端から端までいけばなで埋め尽くす「嵯峨小学校花校路」を自分達でいけあげられました。

約10年くらい、毎年開催されているので、今年も楽しみに3月6日に拝見して参りました。

IMG_6879写真は、菅沼龍生校長先生、中村貴子教頭先生、6年生担任の3名の先生方です。

「花校路」の隣の部屋には、「嵯峨百人一首『こもれび殿」」という看板が掲げられ、部屋一面に84名の歌かるたが展示されていました。いけばなを体験したことが歌になっている句を、校長先生のお許しを頂いて写真に撮らせて頂きました。でも、どの句も、自分達が体験した<嵯峨の宝>である、伝統文化やかけがえのない美しい自然など、誇りに思う事を素直に歌にしていて感動しました。地域の歴史を知り、自分が関わる風景を愛する気持ちを、いけばなで表現された嵯峨の子供達。これからの人生に、花がもたらす喜びを世界平和に役立ててほしいと思います。

間もなく卒業式を迎えられる6年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます!

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【嵯峨小学校の校章・校旗の由来】

昭和47年発行の、嵯峨小学校創立100周年記念史「嵯峨小学校百年の歩み(年史)」によると、「嵯峨の地における教育の沿革は、室町時代以前のごく古いことはしばらくおき、江戸後期においては旧嵯峨御所大覚寺が民政、教育の本源であったことを、古記録でうかがうことができる。文化年中に至って、初めて大覚寺に学問所が創設され、准三宮瑜伽定院がたいそう儒学を重んじられて、儒官(漢学を教授する役人)野口左門という人に子弟の教育に当らせ、(中略)・・・大覚寺学問所はその後閉されたが、この精神はやがて新学制による嵯峨校に継承された。後年定められた嵯峨校校章の山山の図案も、校旗に表された桐竹の模様も、旧嵯峨御所大覚寺蒔絵の桐と鳳凰竹に由来するものであるという。」とあります。明治5年に学制が発布され、嵯峨地域に初めて小学校ができたのがその年8月に開校した「上嵯峨校(後の嵯峨校)」、翌年3月に「嵐山校」だということです。

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