令和2年1月号 華務長対談 尾池泰道門跡猊下×辻󠄀井ミカ
■いけばなの根底には仏教の心がある
昨年、大本山大覚寺門跡にご就任された尾池泰道大僧正猊下に、新年を迎えるに当たって、嵯峨御流に託す想いやこれからの世の中に願うことなどを伺いました。
◆縁を生かせば人生が変わる
華務長 ご晋山おめでとうございます。
猊下 ありがとうございます。振り返ると、いろんな人と不思議なくらいご縁が続いてここに至っている。ご縁の最初は、華務長のおじいさんの辻井弘洲先生。戦後すぐの草繫門跡猊下のときに弘洲先生が華務長でした。
華務長 ご縁といえば、猊下は戊戌の特別法会に2度も携わられたそうですね。
猊下 節目節目にご縁があって、ちょうど昭和が終わって平成になるときもここにいたし、草繫門跡猊下の弟子になったのも60年前の戊戌法会のときです。
華務長 猊下はご人徳と、お幸せの星に恵まれておられるのですね。
猊下 自坊の延命寺の看板に「縁を生かせば人生が変わる」と掲げてある。どなたにもさまざまな縁があります。人の出会いというのは偶然のことだから自分でどうこうするわけにはいかないが、巡ってきた縁を生かせたらよい人生になる。弘洲先生、博州先生、ミカ先生と、三代の華務長とご一緒することになるとは思いもしませんでしたが、それも縁ですな。
◆心に仏教の教えを備えていける
華務長 先ほど縁の大切さをお話しくださいましたが、ご縁の重なり、また王朝の雅な重ねの色目、そういったものに想いを馳せながら、空間に合わせてさまざまに可能性を広げていける「花がさね」という新花を一昨年発表しました。いろいろと環境が変わるので、それに合わせたものを発表しつつ、いけばなの根底にある命の大切さや哲学、思想といったものもしっかり伝えていきたいと思っています。
猊下 これまでも何度も変革があったけれど、もともといけばなは仏教の中に取り入れた花からだんだん発展してきたものだから、心に仏教の教えを備えて挿花するという根底はしっかり持っていないといけない。仏教で生きとし生けるものを構成するものを六大というが、地・水・火・風・空の五つに識(しき)、つまり心が入って六つ。荘厳華ができるとき、草繫門跡猊下と弘洲華務長から、仏教の精神が入って初めて花になるのだと薫陶を受けたのを覚えています。
華務長 令和という元号には和の心を広げていくという意味があるそうですし、仏教に基づいた日本の文化、心こそ大事にしていかなくてはいけませんね。
猊下 物質だけでは人間は幸せになれない。心の喜びがなかったらいつまでも寂しいだろうし、心豊かに暮らせる人が一番幸せ。私もちょうど80歳になりますが、この歳になってそう思うようになりました。
華務長 心の満足、心の喜びというのは物では得られませんものね。
猊下 令和になって初めての正月を迎えますが、平和で温かい気持ちで暮らせる時代になってくれたらと願っています。
◆大覚寺で学べる有り難さ
猊下 弘洲先生だけでなく、博州先生にも大事にしてもらいました。一番よく覚えているのは、一緒に宮中に花をいけに行ったことです。たしか、大きな花、小さい花、合わせて12杯ぐらいいけたと思う。
華務長 特別な人で、しかもほんの数名の人が順番でしか入れないところですよね。大覚寺の花をいけさせていただくと、宮中や宮家とのご縁をいろんなところで体験させていただくことができます。
猊下 今上陛下も幼稚園ぐらいの小さいときに大覚寺においでになって、ちょうど11月頃だったので境内に展示された嵯峨菊をご案内しました。かわいらしいときで、その時の写真もあります。
華務長 昨年の戊戌の折にも、お一人で長い時間こちらでお過ごしになって。
猊下 いよいよ代替わりの直前の忙しい時だったのに、お参りになられましたね。
華務長 ご案内された伊勢宗務総長に「嵯峨天皇の宸翰写経を1200年よくお守りいただきました」と、何度もお言葉をくださったと聞きました。大覚寺の歴史は嵯峨天皇さまが自ら仏教の作法で国の平和をお祈りになられた、国民の平和を願われたというところでございますので、勅願寺でも菩提寺でもなく、天皇家のゆかりのお寺で、やはり別格なんですね。
猊下 別格です。景色も格別です。殊に大沢池。嵯峨天皇さまと弘法大師さまがいろんなことをお話しされ、交流された、その場所がここだから。先生方も稽古の合間にちょっと時間があったら、大沢池を見てほしいですね。他のどこにもない風景ですから。
華務長 それに望雲亭。弘法大師さまが山に帰られるというときに、嵯峨天皇さまが「道俗相分かれ数年を経たり、今秋晤語するも亦良縁なり、香茶酌みやみて日ここに暮れる、 稽首して離れを傷み雲煙を望む」とおっしゃった、あれは深い深い意味がありますね。
猊下 望雲亭はその詩から名付けられたお茶室ですから、特別ですな。
華務長 ちょうど来年の歌会始の歌のお題が「望」ですので、嵯峨御流の門人の方にもそういう歴史を再認識していただいて、広めていただきたいと思っています。
猊下 望雲亭を知っていただくためにいろんな人に使っていただけたらありがたいですね。あそこから望む景色はスケールが大きい。いろんなお茶室があるけれども、ああいったスケールのお茶室はそんなにないでしょう。
華務長 1200年前の遺構が今も残り、その同じ場所に私たちが立たせていただけるということ。そして、その大覚寺そのものが総司所であり、全国の方がここで学べるということは本当にかけがえのないことです。隅々まで心を配られた庭が広がり、僧侶の読経が響く清らかな環境の中で、感じるもの、得るものは大変多くあります。そういう素晴らしい環境の中で、日本の文化というものが仏教を基にしてさまざまな教えを含みながら発展してきたことを学び、道徳や挨拶、人を大切にするとか困っている人を助けるといった、かつて日本人が当たり前に持っていたものを大事にし、命を慈しみ平和を願う嵯峨天皇さまの御心にいけばなを通じて想い至る、その原点に戻ってそういう心を皆さんと一緒に育んでいきたいと思っています。
猊下 そうしていってもらえるとありがたいです。
◆花一輪
猊下 「花一輪」。これは、何をおいても大切なことです。心が入っていれば、そんなに花材がたくさんなくてもいい。
華務長 的を射た言葉ですね。蘭一花でもそれに添える葉やその葉のありようによって、野の中で咲いているような、生きた花になりますものね。猊下はここでも蘭をお育てでございますか。
猊下 富貴蘭を連れてきました。さまざまな葉の表情も面白いが、特に根の色が美しい。今、ルビーのような芽が出てきているんです。育てているうちに、いろんな見所があることに気が付きます。
華務長 出てきた根の先というのですか、それが生きている。生き物の表情というのはすごいですね。
猊下 一年中変化していきます。変化していないようで微妙な変化をしている。以前に洋蘭を育てていたこともあるが、おじいさんに当たる株と親株と子どもの株の三代の株が根で繋がっている。一番古い株の葉が落ちて、じゃあ捨てたらいいかというと、そうではないんです。若い株だけにしたら次の年は花が咲かない。おじいさんの株と繋がって初めて花が咲く。それは作ってみないと分からない。人間も一緒。今の世の中、なかなか何代もの家族が揃ってという時代ではないが、心だけは繋がっていないと。あの洋蘭を見ると、家族は離したらいかんなと思います。
華務長 深いですね。蘭を育てるのは温度や湿度の管理が大変なんですよね。
猊下 環境が大事。温度だけが高かったらいいのではないし湿度もいる。人間も環境に大きく左右される。それを一番感じますね。
◆どんな時代になっても、いけばなは廃れない
猊下 今、花を習う人が少なくなっているというけれど、いけばなが廃ることはないです。大覚寺も終戦直後はすごい貧乏になって、職員さんたちに満足に給料も払えない、庭は草ぼうぼうですさまじいくらいだった。日本全体がそういう状態の中で、大覚寺はこういう時だからこそ花の精神を生かしていかなくてはいけないと嵯峨御流を発展させてきた。あんな大変な、人間が生きていけないような時代から発展したのだから。1200年の間にはとんでもない逆境の時もあったでしょう。今、景気が悪くなったといっても、まともな食べ物を一切食べられない時代ではないし、大変だ大変だというより、おおらかにそれなりの暮らしを送っていけばいいんです。1年や2年では分からないが、30年、50年の大きな流れの中で見たら、それほど心配することはないと私は思う。
華務長 今のそのお言葉、ものすごく心強く響きました。猊下の話をお伺いして、父が、「大丈夫。僕たちはゼロの時代から始めた。だから君たちの時代にもしゼロに限りなく近くなっても、またゼロから始めればいい」と言ってくれたのを思い出しました。戦後すぐの頃は、全国を回られたそうですね。
猊下 草繋門跡猊下と弘洲華務長のコンビで毎週のように講習を行って、どんどん外へ外へと。私はお見送りとお迎えがもっぱらでしたが。(笑い)
華務長 今日は四国、今日は九州とあちらこちらへ、月に何度も足を運ばれていました。全国を回られるのは大変な労力を要したことでしょうね。国内のみならず、1ドル360円の時代に、海外まで行っていけばなを広めようとされたのですね。
猊下 その熱意がすごかった。
華務長 一方、全国の司所の方々は大覚寺まで足を運ばれて、嵯峨御流の種を地域にしっかりと根付かせて、そして今、108の司所になっているのですから、そういう歴史を皆さんと一緒に学んでいきたいと思っています。
猊下 おっしゃる通りで、古い本を見ていたら、懐かしい先生方の名前がいろいろ出てきます。
華務長 猊下は昔からいらっしゃって、ご高名な華道家をいっぱいご存知ですので、私どもにもお教えいただきたいです。いけばなの改革で大事にしていきたいのは、嵯峨御流には1200年の歴史があって、いろいろな家元がこのお寺に仕官なさって、総司所の前身には未生斎廣甫という方が総司所にお入りになって、そこで生花が合わさったりとか、いろいろな積み重ねがあります。これから日本の文化の中で、いけばながますます大変重要な位置を占めていくのではないかと思っています。嵯峨御流は歴史的に、「永宣旨」に基づいていけばなを修めた方に許状を出してきた立場ですので、当流だけが良くなるのではなく、いけばなに携わるすべて方と一緒に発展を目指していきたいし、嵯峨御流が大事にしている花の哲学を広めることでいけばな界全体が、また日本全体がよくなっていくことを目指してやっていきたいと思っています。
◆良いものを見て審美眼を養う
華務長 猊下の讃岐弁、暖かくていいですね。
猊下 讃岐生まれだから、ここへ来てわざとでも讃岐弁が使いたい。讃岐弁というのは不思議なもので、どこに行ってもだいたい通じる。華務長のお母さんが讃岐生まれだから、多少は讃岐弁が通じていると思うんだが。
華務長 ものすごく好きです。使うのは下手ですが。私、ひとつ不思議に思っているのは、「うまげ」という言葉です。母の友人が皆、きれいなものを見ても犬を見ても「うまげなの」と。
猊下 「いいもんじゃな」という意味で、かわいいな、綺麗だな、も全部含んどるんです。食べるものにも使える。讃岐の代表的な言葉の一つです。
華務長 たぶん、うまし、麗し、という古い言葉が讃岐に残っているのかなと。好きな言葉の一つです。猊下の普段の衣装も「うまげ」ですよ。スーツの時には素敵なシャッポを被られて、大変おしゃれでいらっしゃる。
猊下 それでいうと、華務長のお召し物はいつも素晴らしい。花の先生は、お金をかけるのではなくて、着こなしとか色合わせとか、そういうことも大事にしてもらいたいと思います。
華務長 その通りです。基本的に、いいものをたくさん見て、衣装や調度やそういったものの取り合わせを学び、審美眼や感性を磨いていくことはいけばなの美の世界に通じますから。
◆花材のプロがいてこそ、いけばなは成り立つ
華務長 讃岐と言いますと、猊下の晋山式のときに香川県知事も来ておられましたね。
猊下 自坊の近くの生まれなんです。知事のお父さんは「嵯峨の会」の花梅の先代社長でもありますから。
華務長 お父さんのことはよく覚えています。
猊下 あの人は花材を見付ける名人でした。「これはないじゃろう」というものでも見付けてきた。冬だったら寒牡丹。これとこれというたらちゃんと揃えてきた。
華務長 いけばなのこともよくご存知でした。
猊下 知事のお父さんは、華道家ではないけれど花と繫がっている。
華務長 いけばなが素晴らしいのは、そのもとになっている花材花卉をはじめ花に関わる産業やまた生産者の方、さまざまなプロの方が関わって、それで日本の文化の根幹を成しているという点です。山のプロもいらっしゃって、樵をしながら山をずっと手入れして回る。その時にいい花材を見付けて、この花はこの流派、しかもその中のどの先生にぴったり好まれるか、そういうところまで熟知して用意してくださる。そういう方々がいらっしゃるので、いけばなは成り立っているんです。そこに関わる命のことをよく知っている人、木を見ている人、そういう人たちの日々の選定眼の中で、「これ」という姿のものを提供していただく、その素晴らしい花材を生かすのが私たち華道家ですので、いけばなは単にデザインして、単に綺麗だったらいいというのではないと思います。自然の力、花の力があって、そこにちょっといける人の手が入って、自然よりもさらに美しい自然が出来上がっていく、そんな世界なんですよね。
<プロフィール>
尾池泰道大僧正猊下
大本山大覚寺門跡、真言宗大覚寺派管長、嵯峨御流華道総裁、嵯峨美術大学・嵯峨短期大学名誉学長。1939年生まれ。宗会議員、財務部長、出版部長を歴任し、耆宿など重職を経て、2019年5月9日に門跡に就任。延命寺名誉住職。