令和元年10月号 華務長対談 辻󠄀井ミカ×和紙作家 堀木エリ子
■和紙を通して表現する日本の「うつろい」の美学
今回のお相手は、世界的に活躍されている和紙作家の堀木エリ子さん。和紙インテリアアートの企画・制作・施工を手がける会社「堀木エリ子アンドアソシエイツ」代表取締役でもあります。御池通りにあるショールームを訪ね、美しいオリジナル和紙やすてきな和紙インテリアを拝見しながら、パワーあふれる生き方や和紙制作にかける強い想いを伺い、あふれるほどのエネルギーを皆さまにお届けします。
◆和紙が持つ空気感、醸し出される気配を表現する
華務長 さまざまな作品を拝見したり、テレビでダイナミックに作品をお作りになるご様子をお見掛けしたりして、その大胆さ、決断力、瞬発力はものすごいとかねてより感服しておりました。今日は、その堀木さんにお会いできると心震える想いで参りました。
堀木 ありがとうございます。私も楽しみにしていました。
華務長 私はいけばなをしておりますけれども、いけばなというと、一般的に家の中に置く小さな世界だと思い込んでいらっしゃる方も多いようです。でも、私の父や祖父は舞台だとか商業空間にいける大きな作品が好きで、昭和40年代から大阪の阪急百貨店の大きなウインドーに超大作のお正月花をいける、そういう仕事もしておりました。私もそのお正月花の挿花を引き継いで続けさせていただいておりますが、大きな松の幹を配置して何千年もの時の流れを表現するといった、大きな空間の中に大きな素材でいけばな作品を造形しています。その際、堀木先生のダイナミックでいて繊細なお力に共鳴するというと僭越ですが、とても親近感を持たせていただいているんです。そこで先生の作られるときの気持ちや、見る人にどういうふうに見てもらいたいと思ってお作りになっているのか、そのようなことをお聞きしたいと思っています。
堀木 皆さん、私のことを和紙デザイナー、和紙作家というように見てくださるんですけれど、和紙を作るというよりは、和紙を介したこちら側の空気感、和紙の向こう側の気配をどう作るか、ということを考えながら漉いているんですね。和紙そのもののデザインや表層的な柄ももちろん人にメッセージを伝えるために大切ですが、どちらかというと和紙が持っている空気感、あるいは和紙から醸し出される気配みたいなものをどう表現するかということの方が重要です。「うつろう」という日本の美学を後世に伝え、世界に発信したいと思っているんですね。今は時間のスピードも速いですし、やらなくてはいけないことも多い日常生活の中で、「うつろい」という感性や昔からの情緒とか情感を感じながら生きていくのは難しいのですが、やはり日本人として、古くから人が愛でてきた感性というものを和紙を通じて知らせたいと思います。私が皆さんに感じ取っていただきたいのは、「うつろい」の魅力みたいなものなんです。
華務長 時の「うつろい」をこんなに繊細に表現するのは、日本人ならではの感性なんですよね。
堀木 季節の「うつろい」ももちろんですが、「陰翳礼讃」に代表される光と陰のあり方は、「畳や床に座る」という文化があってはじめて感じられるものであり、その中から情緒とか情感というものが育まれてきたと思います。家の中の間仕切りには障子があります。白木の縦の桟に横の桟が垂直に交わって、そこに白い和紙が貼られている姿はすごく綺麗なんですけれど、障子の魅力というのはそういう構造的な美しさではなくて、そこに太陽光線が当たって、太陽が傾いていくに従って影が移ったり、紅葉の季節には庭の赤い紅葉の赤っぽい光が障子越しに入ってきたり、部屋の中にいても障子越しに「今日は満月かな」と、そこはかとなく感じられることが美しさです。冬にはしんしんという雪の音が聞こえてきそうな雪の影を発見する楽しさや感性というものが、今一度見直されてほしいですね。
華務長 そうですね。いけばなも、家の中に自然を持ち込む、自然とともにある暮らしを楽しむ、花で時の動きを表現するといったことが基本です。縦横の障子、床の間も直線ですよね。そんな中で植物が撓んだり、少し弓張りになったりする姿を捉えて伝統的な型ができたのがいけばなです。堀木さんの伝えたいと思われるものは、いけばなと共通していますね。
堀木 そもそも自然に対する畏敬の念や人の命を大切にする祈りの気持ちから、手を動かしていくことがものづくりだと私は思っています。もちろん、気配や空気というのもその一つです。和紙の表層の柄の一つである立涌柄は昔から使われている古典模様です。昔の人が宇宙の兆しが湧き上がるというような、吉祥の意味を込めて空間に使ったり着物の柄に使ったりしてきたことを、私たちは和紙を通じて現代の人たちにももう一度見直して欲しいと思っています。柄の意味を問われたときに、願いや人が人を想う気持ちが込められているということをきちんと伝えることによって、作り手の想いが使い手の想いに繋がって、ものを大事に使うことができるのではないかと思います。
◆白い紙は「おもてなし」の源流
華務長 堀木さんの名言の一つに、「白い『紙』は『神』様に通じる」というのがありますね。
堀木 それは職人さんの精神性なんです。職人さんたちは白い紙が神に通じると考えて、より白い紙、より不純物のない紙を、1300年、ずっと追い求めてきたんです。なぜ紙が神に通じるかというと、白い紙が不浄なものを浄化するという考え方からです。例えば祝儀袋は白い日本の和紙でお金を包みますが、これは不浄とされている紙幣を包み込むことによって、浄化したものを人に差し上げるという行為なんです。大学に講義に行って「なぜのし紙を付けるのか」と聞いたら、学生の8割が「目的と名前を書いておかないと、誰からなぜもらったか分からなくなるから」と回答するのですが、実は、わざわざ品物を白い掛け紙で浄化してから人に差し上げるという、人が人を想う気持ちの表れなんです。神様へのお供えも白い紙の上に置きますし、神社でも神様がおられる所と人間がいる場所の間には紙(し)垂(で)という白い紙で結界を作っている。見方を変えると白い紙というのは何かを敬う気持ちの表れで、それが人を想う気持ち、「おもてなし」の源流じゃないかと思うんです。
華務長
伝統的な考え方に基づいた工芸品が安くて量産できる工業製品に取って代わられていますが、たとえ伝統的な工芸品が作れなくなっても、そういう「おもてなし」の気持ちがあれば、他の何かを見立てて心を伝えることができるということですね。
◆技術の継承ではなく、伝統の背景にある精神性を繋いでいく
堀木 白い紙が神様に通じると職人さんたちが考えているのに、私は32年前に工房に入った時、和紙に色を付けたり、水滴で穴を開けたりしていました。その私の取り組みに対して職人さんたちは、この小娘は何をしにきたんだ、とっとと帰ってくれと思ったんでしょうね。挨拶しても無視されましたし、私が行く日には一緒にいるのが嫌だといって休む職人さんがいるくらい嫌われていました。でも、白い紙の話を聞いた時に、職人さんのそういう反応は当たり前のことだと理解できたんですね。だから、今の時代にはデザインをした紙も必要なんだという「説得」をやめて「継続」しようと思ったんです。とにかく継続していく中でいつか分かってくれるだろうと。その一方で、職人さんが大事にしている精神性も反映しました。私の作る和紙は五層から七層漉き重ねていますが、表面の層には薄い白い和紙を漉き、最も後ろの層にはベースとなる白い和紙を重ねます。その間の層に色や糸を漉き込んでいますので、必ず白い和紙の間に色やデザインが入っています。白い紙によって浄化されるという精神性を大切にしたいと思っているんです。そういうことを考えていくと、技術の継承だけが伝統の継承なのではなくて、技術は変えてもいいから、現代に生きる私たちがその背景にある美学や精神性を繋いでいくことが大事なんだと思います。ただ守だけではなく、智恵を使って進化させていくことも大切です。
華務長 大事にしている核となるものを、今の技術と知恵でどのように表現するか。それによって、伝統的な美学や思想を継承していくんですね。
堀木 時代は変わっていきますし、その時代の要望も変化していきますからね。
華務長 そうです。まず暮らしぶりが激変しましたしね。
堀木 着物が洋服に変わったり、リビングとダイニングの壁が取り払われたり、1階と2階が吹き抜けになったり、いろんな仕様や有様が変わっていきますから、それによって技術が変わっていくということは当たり前であり、むしろ、変わらなければいけないことなのかもしれません。だから、目に見える技術の継承ということよりは、いかに和紙を通じて昔の人たちの想いや、良き物事を繋いでいくかということが大事だと思っています。
◆原点に戻れば、やるべきことが見えてくる
華務長 先ほどおっしゃったことは、和紙に限らず伝統文化を継いでおられるどなたにでも通じる心のありようですね。
堀木 私の場合、銀行で窓口業務をしていたところに、たまたまご縁があって手すき和紙の商品開発をしている会社に転職したんです。大企業からわずか4人の会社への転職でした。そこで事務経理をやっていたのですが、その会社がわずか2年で無くなってしまったんです。手漉(す)きの和紙でいいものを作っても、すぐに機械漉きでできた類似品が出てきて、価格競争に負けて会社が閉鎖に追い込まれてしまいました。それを目の当たりにして、本当に過酷な労働条件の中で黙々と一つのことをやってこられた職人さんたちの尊い営みがなくなってしまうと感じた時に、自分が和紙を何とかしなければと思ったんです。ですが、会社を始めるといっても24歳で何にも分からない。とんでもないと周りから反対されました。まず大学や専門学校でアートやデザインの勉強をしていないし、ビジネスなんて何も知らない、職人さんのところで修行もしていないのに、できるわけがないと。100人に相談して120人からできないって言われたんです。相談した覚えがない人からも電話がかかってきて(笑い)。できるわけがないと言われた時に、本当にできないのかと考えました。
華務長 そこがすごい。
堀木 そういう状況の中で、「でも何とかしなければいけない」と思っているから、自分自身を説得する材料が必要だし、考え方を持たなければいけなかったんです。そこで、「ものづくりとはなんだろう」と、原点に戻ってみたんです。「埴輪や土偶を作っていた時代の人は、なぜ作ったんだろう、どんな人が作ったんだろう」と。発掘された埴輪や土偶は、私たちがすごく感動する造形ですけれど、それを作っていたのは、大学でデザインを勉強したデザイナーでもなければ、学校でアートを勉強したアーティストでもないわけです。狩りに行って畑も耕して、子どもも育てていた一(いち)生活者が、気持ちを込めて土をこねて作り出したわけです。ということは、「人間は皆クリエーターじゃないか」と思い当たったんです。じゃあなぜ昔の人は埴輪や土偶を作ったのか。それは、誰か大切な人が亡くなった時に、お墓に入って寂しくないようにとか、生まれ変わって不自由がないようにと、人の形や馬の形を作って一緒に埋葬したんですよね。あるいは、大事な人が病気になった時に、人形の形を作って身代わりとして割ってお祈りをしていた。「結局、ものづくりは自然に対する畏敬の念と、命に対する祈りの中から生まれてきたんだ」ということに気がついて、だったら私も、自然に対する畏敬の念を大事にして、人の祈りに対する気持ちを持って手を動かしていければできるんじゃないかと思ったんです。その考え方がベースになって、私にもできるに違いないと思って仕事をしてきましたので、一般的なデザイナーやアーティストと出発点が違うんですね。
華務長 原点に帰るとおっしゃいましたけど、突き詰めて、和紙とは何か、ものづくりとは何かというところに立ち戻られたんですね。私どもも今、いけばなを習う人が少なくなって、なぜだろうと考える中で、「花はどうして人に必要なのか」という原点に立ち返って問い直しています。私どもの原点は、嵯峨天皇様が1200年以上前に大覚寺の大沢池、そこの菊ガ島に咲いていた花を自ら手折られていけられた。そのときに、自然に対する畏敬の念と言いますか、命が平等であるというようなお考えや、天と地というものの中に命というものがあって、それを実感していくというようなお気持ちを持たれ、空海様のお導きもあって、「これをもって範とせよ」と花をもって天地人三才の姿を示されたと。そのときには「いけばな」という言葉はないのですけれど、天皇様が感じられた姿というものは、いけばなや日本の伝統的なものの見方の原点ではないかと思うのです。その御心、命の大切さ、自分も平等に命をいただいているというようなところに戻れば、生活の環境が変わっても、今、花をいける者に何ができるのかというようなことが考えられると思うのですね。堀木さんのお話を聞いて、まさしくそうだなと思いました。
◆伝えるという意志と意識を持ってこそ伝わる
華務長 日本人の「うつろい」を感じる繊細な力をなくさないで欲しいし、若い人にはいいものをたくさん知って、体験して、もっと貪欲にいろんなものを見てもらいたいと思いますね。
堀木 若い人に日本人の美学や職人の精神性を分かってもらうためにも、私たちの世代が、それを知るきっかけをいかに作ってあげられるかということが大事だと思います。
華務長 とてもご多忙なのに堀木さんは大学でも教えておられる。伝え続けていくことが大事ですね。どなたか一人でもビビッと感じる方がいらっしゃれば、その方がまた核となって広がる可能性がありますから。
堀木 知らせていく、伝えるという意志と意識をちゃんと持たないといけないと思っています。人間には勘違いしがちなことがいっぱいあって、「見た」と思っていても、眼球に映っただけのことであり、「聞いた」と思っていても、それは鼓膜が震えているだけの現象であることが多いのです。頭の中に入っていなければ見たことにも聞いたことにもならないですよね。見ようと思って見ないと脳には入ってこないし、聞こうと思って聞かないと脳には入ってこない。けれど、得てして「あそこに行った」「見た」「聞いた」と知った気になってしまうことがあります。だから、意識して感じること、見ようとして見ること、聞こうとして聞くことが大事だと思います。
華務長 できていないところがいろいろ浮かびました。若い人たちが見たくなるようなこと、知りたくなるようなことを考えてみます。
堀木 「今の若い人たちは」とよく言われますが、そう言って若い人のせいにするのではなくて、何でも自分のせいだと思えばどうしたらいいかということが見つかるのだと思います。だいたい人間は、何か起こったときには誰かのせいにしたいし、何かの所為にしたい。昔お世話になった方が、「郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも全部ワシのせいや」とおっしゃっていたんですね。それくらいに思っていれば、自分が何をすべきか発見できるでしょう。
華務長 堀木さんのエネルギーの込もった言葉をたくさん伺ったんですけれど、20代にしてそういう思いになられたというのは、すごいですね。
堀木 「できるかな、できないかな」と両方思っていたら絶対できない。「できる」と決めて行動してこそ、できるのだと思います。
◆死にざまは選べないが生きざまだけは選べる
華務長 これまでの人生で何度も大きな転機を経験されておられますが、どうやって決断されているのでしょう。
堀木 迷わずに前に進むと決めているんです。「できるか、できないか」と両方思っていたら絶対できない。「できる」という前提で取り組めば、「できる」し、「どうしたらできるか」という方向に考えが向くんです。
華務長 そういう堀木さんの生き方が潔いですよね。何をしたら得かといった打算ではなく、和紙の良さを伝えていくんだという純粋なお気持ちでやっておられる。それ故、作品もお話も人の心を打ちます。
堀木 実は30代の終わりにがんになって、その時もう死ぬかもしれないと覚悟して遺書を書きました。自分がやらなくてはいけないことを挙げていったらこんなにある。死んでる場合じゃないと。死を覚悟したとき、人間は死にざまは選べないけど、生きざまだけは選べるということに気がついて、改めて自分の生き方、方向性を見直したんです。それまでは和紙を後世に伝えるという使命感を自分に言いきかせて働いてきましたが、大病を経験してからは、自分に何が求められているのかを受け止めた上で、和紙を通じて社会にどう貢献していけるのか、そして自分に与えられた役割を果たすためにどうすべきかを考えるようになりました。私が創作する和紙によって人に幸せになってもらえれば、それが一番ですから。
華務長 自分がやっていることで人に喜んでいただき幸せになっていただけるということはすばらしい。私も、花を見てどなたかが一日笑顔になってくださいますように、そんな気持ちでいけております。
〈プロフィール〉
堀木エリ子
和紙作家・(株)堀木エリ子アンドアソシエイツ代表取締役。1962年京都生まれ。1987年SHIMUS設立、2000年(株)堀木エリ子アンドアソシエイツ設立。「建築空間に生きる和紙造形の創造」をテーマにオリジナル和紙を制作するとともに、和紙インテリアアートの企画・制作から施工までを行っている。2012年「堀木エリ子展~和紙から生まれる祈り」(東京)、2018年「SHIP’S CAT」展(フランス)など、国の内外で数多くの作品展開催。他にも、さまざまな場所のインテリアを手がけるなど多方面にわたって活躍している。日本建築美術工芸協会賞、日本現代藝術奨励賞など受賞歴多数。