令和元年5月号 華務長対談 辻󠄀井ミカ×書家 瀬原加奈子
■出会いによって広がる無限の可能性
今回対談のお相手は、新進気鋭の書家、瀬原加奈子さん。梅の花も匂い立つ季節に大覚寺をお訪ねいただき、作品に込める想いや人と人の出会いが生む力というお話で熱く盛り上がりました。
◆自然の中にいらないものはなく、多様性が調和を生む
華務長 後ろに立てられているパネルは、華展を開いたときに瀬原さんに書いていただいたものなんですけれど、畳一畳ほどある紙に力強く書かれたこの「守」「破」「離」が掲げられると、会場がピリッと引き締まる思いがしました。華展のテーマを「守破離」としたのは、元になる部分、歴史のその始まりの核の部分を「守」、その歴史の流れの中で、今の嵯峨御流を見ていただくコーナーを「破」、これから未来にこんな可能性がある、そういうコーナーを「離」で表現したいと考えたからです。
瀬原 あの華展は、私にとっても人生が変わるほどの大きなものでした。いけ込みのときに呼んでいただいたのですが、厳しい時間制限があるなかで作品が作られていく様子を見て、書道展との大きな違いを感じました。会場となったスペースは黒がベースの無機質で劇場のため天井も高かったですね。いけ込みの時間が2時間ほどしかなくて、一斉にいけ込みが始まるのですが、それはまるで草木が芽を出すかのよう。一瞬で、無機質なその空間に森ができる。あれには本当にびっくりして、これはすごい世界やなあと。最後に華務長が「破」のオブジェの前に1本の白いカトレアをいけられたんですが、あのときに何か込み上げてくるものがありました。たった一輪いけただけなのに、こんなに人の気持ちを動かす、それはすごい力やな、花の持つ力はすごいなと。あのときから、私もいけばなをやってみたい、生きているものとの対話できる自分になれたらいいなと思いました。
華務長 今のお話しは全国の方にもお聞かせしたいです。そういう気持ちでしっかり見届けてくださったことに感動しました。会場全体を森にして、会場に誰でも入ってどこからでも見ていただける華展にしたかったんですね。いけばなというのは真正面から見ることが約束になっていますが、そういう花もあえて立体展示にして、「いけばなとはこうして見なければいけない」というものを一旦取り払って、会場のどこから入ってもいいし、その中で楽しめるような、森の中を巡ってもらえるような構成にしました。でも、核となるものは同じなんですよ。例えば華道総裁の花は普通ですときれいな幔幕を掛けて席を拵えて、そこへ置かれるべき方のお花なんですけど、敢えてそういうものをなくして、ここは目に見えない床の間だと感じていただけるようにしたかったんです。そのように思っていただけたのなら成功です。
瀬原 その会場の森を見せていただいた後に大覚寺の境内、大沢池の景色を見せていただきまして、あの森がここから生まれたということが分かりました。
華務長 そうなんです。おっしゃる通り、大沢池は嵯峨天皇さまがお住まいとされていたときからある池ですから、実際に弘法大師さまと嵯峨天皇さまがたびたびあの池でお話をなさったと。そこから全てが繋がってきたんですね。
瀬原 大覚寺に来させていただいて嵯峨の自然の中にいると、自然というのは何に対しても分け隔てがないということを感じ、そういう大きな世界の中で自分がそのままでいいんだなという安心感を持ちました。
華務長 そのお言葉を大変嬉しく思います。包まれているという安心感を含めて宗教観があるもの、これがいけばなの世界ですね。いま伺って、私も自然からそういうことを教えていただいていたんだなと、逆に改めて感じました。自然の中にはいらないものは何もなく、多様性そのものであって、いろんなものがあることが調和を生む大事な要素なんだなと思います。今日、最先端のアートに関わっておられる瀬原さんに、いけばなで大事にしないといけないところを教えてもらったように思います。
◆遊び心を持って花と対すれば花は生命の輝きを表してくれる
華務長 書に落款がありますが、押してある位置がすごくおしゃれで、アートと呼びたくなりますね。白と黒の世界の中に唯一ある赤、空間の中で紅一点。約束の世界の中にある遊びの世界といいますか。
瀬原 書というのは紙の上に墨で書くのが多いのですけれど、その白と黒の世界に一つ赤を押す。その白も私は作品の一部だと思っているのですが、どこに赤を押せばその白が生きてくるか、または死んでしまうか、常に意識を持って「ここちゃうんか」いうところで決断しています。落款を押すのは最後の最後。女性がお化粧をして最後に口紅を塗る、ちょっと赤が入るとまた違ってきますよね。その紅の色もそれぞれ人によって違うように、落款の印泥の色もそれぞれの個性です。「守」に押したのは姓名印で瀬原加奈子、私の本名です。こちらは正式なものなので白文印です。「守」というのはやはり型を勉強していくということなので、落款も正式なものとさせていただきました。「破」の印は雅楽盦主人と五つ文字が入っていて、これは私の工房の名前である雅楽盦の主人であるということを表しています。「破」というのはそこから作っていくということで、私にとって作る場所というのは工房で、楽しい場所なので、ここには雅号印の一つを押しました。「離」に押したのは篁冲、私の雅号です。「離」は大爆発の世界、そこから自分の世界を作っていくということで、型を破るという遊び心を入れてみました。
華務長 「真行草」の違い、「真」の印、「行」の印、「草」の印であるとか、そういう規則をまず知った上での遊びというか。いけばなも遊び心が最も大事で、その遊び心というのはただ楽しければいいというものではなくて、技術を学んだ上での遊びの境地、それによって魂が解放されるような、喜びを感じるような心境であると思います。お生花ですと型がありますが、型ばかりだと堅苦しいものになってしまいますし、芸術の楽しさというのは技術ばかりではない。型の下に、出会えた材料、花材をいかに遊ばせるか、それを見立てる心、そういう余裕のある心こそが材料を生かせるのだと思います。遊び心を持って花と対していくと、花は応えてくれるし、生命の輝きを表してくれる。遊び心はいける喜びをもたらし、いけばなをより豊かにしてくれるものだと思います。
◆その一瞬に、頭に浮かんでいるものをいかに出すか
華務長 私が初めて大阪地区連絡協議会の100名の方々と一緒に大阪うめだ阪急百貨店コンコースウインドーに迎春花をいけさせていただいたのが2013年の正月です。それまで、私の父が40年くらい担当していたのですが、父が亡くなり、私がプロデュース役を引き継ぐことになったのです。ちょうど阪急百貨店も改修を終え全面開業をしたこともあって、そのときに書も一新され、瀬原さんが書かれることになりました。阪急百貨店から紹介されて、拝見させていただくと、非常に力強い書で、「どこの男性ですか」とお聞きしたら、「女性です」と(笑)。字は読めないんですけど、感じる。すごいアーティストだなと思いました。
もう一つ忘れられないのは、阪急百貨店で7面のウインドーに1人ずつアーティストが入って、1週間かけて作品を作り上げるというパフォーマンス企画があって、その1人に瀬原さんが抜擢されたときのことです。袴をはいて毎日そこで書を書いて、最終日にそれを完成させた。瀬原さんのブースだけ黒山の人だかりでしたね。
瀬原 毎日、朝10時から夕方5時まで大勢の人に見られ続ける経験というのは初めてで、動物園のゴリラの気持ちがよく分かりましたね(笑)。
華務長 その時におっしゃっていたのが、「ほとんど考えています。だけど書き出したら一瞬だ」と。
瀬原 その一瞬に、頭に浮かんでいるものをいかに出すか。ですが、紙の質感とか、温度とかその時にしか出ないものがあるので、頭の中で考えている通りにはいかない。右にこうしたいのにと思っても、筆が左にいったらそれでいくしかない。いけばなにも共通するかもしれないのですけれど、作品を作るというのはそのときしかない。「もう一回やり直し」というのができないので、そのために体作りだったり心の持ち方だったり、そういったものを準備、調節して臨むのですが、自分の意思とは違うというところで、何か空気とかその環境やお客さま、その中で生まれてくるものがあるんです。その時に1つの点が遊べるか。「アッ」と思っても、それをどう生かすか。昔は、うわーっどうしようとなっていましたが、やっていく中で今はこういうふうに生かせるなと思えるようになりました。過去の自分と対話しながら制作していくというのが、作っている時に楽しいなと思う瞬間ですね。
華務長 瀬原さんは会を主宰されていて、展覧会をされるんですが、お弟子さんも皆5メートルを超える作品を書かれるそうですね。
瀬原 書には形式があるんですけれど、「そこを離れて自由に書け」というのが私の師匠の考えです。初めての人も、とにかく大きなものに、好きなものを好きなように書く。2年に1度選抜展がありまして、選ばれた者は、「横幅9メートル、縦5メートルのホールの壁をあげるから、その壁面を埋めなさい」と言われるんですよ。
華務長 すごいダイナミック。父がよく言っていたのが、「大きい作品がいけられたら小さい作品もいけられる、だけど逆はない」。結局、お花というのは大きい作品でも小さい作品でもバランスは一緒、調和の良い作品はどれもバランスが取れている。だから、大きい作品をイメージしていけられるようになると小さい作品もいけられるんです。書にもそういうことがあるんですね。
瀬原 ありますね。頭の中で創造したものを出すのですけれど、小さいものしか書いていなかったら体がついていきませんので、やっぱり小手先のものになってしまいます。大きなものというのは、とにかく体で自分が作ろうとする面を感じて、それでやっていくので、その感覚を忘れてしまうと書けなくなったり、白い面に圧倒されて怖気付いてしまったりします。
◆大作は皆が心を合わせないと作れない
瀬原 ウインドーの中に入って作品を作るというパフォーマンスをしたときに、ウインドーの奥行きがあれほどないというのを初めて知って、迎春のいけばなを立体的にいけるのはどれほど大変かと初めて気付きました。
華務長 実寸は120センチですけれど、使えるのは100センチもないです。その範囲に作らないと手入れができませんから。ほぼ平面といってもおかしくないほどです。
瀬原 阪急百貨店の方からは大きな筆でわーっと書いて欲しいと言われたんですけど、大きな筆は竹の筆管の部分だけで1メートル以上ありますので、それで入らなくて。しかも120センチという奥行きなので、作品との距離が近すぎて、出来上がりがどうかというのはウインドーの外に出てみないと分からない。自分の肩幅から推し量って、想像しながら書いていましたので、何人もの方々でお作りになるのは大変な作業だなあと。
華務長 大作は大作のいけかたというのがありまして、まず遠くから見る人がいて、それから材料を数人で持つ、それを入れるときにまた後ろと前で心を合わせないと一本の大きな枝が入れられない。ウインドーの中にいる人は外からの声が聞こえませんので、前で見ている人の「そこよ、ここよ」という、その人の「ここ」というのを汲み取って動かす。後ろの人は何にも見えませんけれど、心を合わせていれば、こう動かされてきた花材をこう引っ張って着地させる。100人が心を合わせないとできない。しかも見えないところの配慮も必要です。お花は水を使いますから、1滴それを落としても人が滑る。だから雑巾を持っている人、その方がいらっしゃらないとこの作品はできない。ここは針金がいるだろうなとか、そういう予想が立たないといけませんので、一人でも違うことを考えているとできない。大作を作る時には、心を合わせることが一番大切なことです。
瀬原 心象ですね。
華務長 そうですね。想像力とも言い換えられます。こうしたらこうなるという想像が皆に伝わらないとできない。
瀬原 100人が同じものを描けないといけないというのがすごい。面白いのは、あのウインドーというのは、コンコースですぐ側で見るのと、真ん中あたりで見るのと、引きで見るのと全然違いますよね。そのどの段階でもいろんな人に見て喜んでもらえる作品を作られるのはすごいなと思います。
華務長 そういっていただけるのはとても嬉しいです。あそこは1日に40万人の人が通られるそうですが、遠くから見ても新鮮な喜びを感じてもらえて、近づいて見てみようかなと思ってもらえるように、また人それぞれいろんな興味をお持ちですから、それぞれの人に自分な好きなものが見つかるように考えて作っています。書がまたすごく人気ですね。私どもの意図を聞いて、それを汲んで文字を決めてくださる。それもいつも楽しみなんです。
◆新しい出会いが新しい表現を生む
華務長 瀬原さんにはアーティストの仲間がとてもたくさんいらっしゃって、いろんな方と交流されていますね。
瀬原 皆さんそれぞれ強いこだわりを持ってそれぞれのものを追及されていて、一般的にいうと変わり者かもしれませんが、皆さんそれぞれ違うアイテムを持っているし、見る目線が違っていて、そういうものを出し合うのはとても勉強になりますね。面白いなって心が踊る部分というのには共通したところもありますし。
華務長 それぞれ専門を持つアーティスト同士が刺激を与え合うというのは羨ましいなと思いますね。新しいものとの出会いが新しい表現を生むというのは、いけばなでも同じです。例えば、阪急のウインドーの迎春花では、新しい時代とはどういう時代かと考え、新しい出会いを常に求めています。人と人は出会って初めて何かスパークするものがあると思いますので、1年かけて新しい時代を表現するようなものを生み出せるように、さまざまな方に出会っておくということを大事にしています。
瀬原 以前、「変わり者ってどうですか」と聞いたとき、華務長先生から「変わり者というのは大変貴重で大事なものです」と掛けていただいた言葉に、後ろから背中を押していただいた気がしました。
華務長 変わり者こそが時代を新しく変えていくのではないでしょうか。「花がさね」のように合わさると、何倍にもその力が発揮される。だから変わり者は必要なんです。そういう新しい出会いが大切だと思います。昨年は、大覚寺、嵯峨御流のご始祖である嵯峨天皇さまが、宗祖弘法大師のお勧めにより般若心経を書写されてから1200年に当たる戊戌の年だったんですね。嵯峨御流も嵯峨天皇さまへの崇敬の気持ちや生命を大切に思う気持ちを花に託して伝え続けて1200年、お寺の歴史の中でそれが続いてきました。去年はそのご縁を記念して「花がさね」という新花を発表したのですが、これは人と人が出会ってそこに閃きが起こるように、一つ一つの花同士が出会うことによって、また花と器、花と空間の出会いによって、2×2は4ではなくて、その何倍にもその魅力が合わさって広がっていく、そういう花です。嵯峨御流の花の根本あるのは弘法大師の御教えや嵯峨天皇さまのお言葉です。宇宙は常に融通しあって常に動きあって、その中に私たちの生命というものが存在しているという、そういう深い哲学が花の型の中に、一つの中にしっかり入っている流派ですので、核がしっかりしているんです。その核を元にしつつ、新しい出会いの中でその可能性が無限に広がっていく。この「花がさね」をきっかけに、さらに新しい出会いが起こり、その出会いによって何が生まれてくるか楽しみです。
〈プロフィール〉
瀬原加奈子
大阪市出身。〔書法天韻社〕代表、〔読売書法会〕評議員、〔北朋印社〕理事、〔北海道篆刻倶楽部〕理事を務める。USA Wright State Universityでのデモンストエーションをはじめ、関西国際空港展望ホールや東京銀座鳩居堂画廊などで作品展開催。阪急百貨店うめだ本店でのパフォーマンスや嵯峨御流いけばな正月展示表札、さらには大阪モーターショーや京都の黄桜株式会社本社扁額に揮毫するなど、多彩に活躍している。