産経新聞社主催「いけばな女流選抜作家展 併催 ジュニアいけばな展」
大丸心斎橋店北館14階のイベントホールにて、後期展が開催されています。
3月11日(土)~13日(月)10時~20時
※13日(月)は午後5時閉場(入場は4時30分まで)
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Profile
辻󠄀井ミカ先生は、祖父・父の跡を継ぎ昭和43年より嵯峨御流に入門され、平成2年派遣講師となり本格的に華道家としての活動を開始される。
平成8年華道芸術学院教授に任命されたのを始め、華道評議員、華道理事、華道企画推進室副室長等の総司所役職を歴任、平成16年より平成26年3月まで弘友会司所の司所長に就任される。
そして平成26年4月1日より華道総司所華務長に就任。
現在、日本いけばな芸術協会常任理事、大正大学客員教授を務められる。
大丸心斎橋店北館14階のイベントホールにて、後期展が開催されています。
3月11日(土)~13日(月)10時~20時
※13日(月)は午後5時閉場(入場は4時30分まで)
4月7日から9日まで大覚寺において、嵯峨御流の御始祖・嵯峨天皇様に花を献じる催し「華道祭」が開催されます。嵯峨御流の全国109司所、並びに海外司所の奉献花作品や、役職/教授/派遣講師による作品などが華道芸術学院や大覚寺境内の随所を華やかに彩ります。
また、本年4月から校名変更となる「大覚寺学園 嵯峨美術大学」の紹介を兼ねて、通称”嵯峨美”の学生の秀作も沢山展示されます。華道祭の作品展示は10時から16時まで。
嵯峨天皇奉献花法会(献花式)は、7日10時から12時、境内の石舞台にて行われます。
大覚寺は、嵯峨天皇様以来江戸後期までずっと皇室の方々が門跡様になられており、大覚寺最後の宮門跡(住職)となられた有栖川宮慈性入道親王様の150回忌法要が嵯峨天皇奉献花式と合わせて厳修されます。有栖川宮家とは四親王家(伏見・桂・有栖川・閑院)の一つで、寛永二年(1625年)に後陽成天皇の第七皇子である好仁親王が高松宮と称して創立されたのにはじまります。寛文七年(1667年)に後西天皇の第二皇子である幸仁親王が継がれ、同十二年、有栖川宮と改称され、以後、十代三百余年におよびました。
産経新聞社主催、いけばな女流選抜作家展。大阪心斎橋大丸北館14階にて開催中です。
併催ジュニア展。
10日は16時閉場。
後期展11日から13日。13日は17時閉場。
わたくしは、後期展に出瓶します。
http://www.sankei.com/smp/west/news/170306/wst1703060041-s1.html
http://www.sankei.com/smp/west/photos/170308/wst1703080103-p1.html
下の作品は、前期の嵯峨御流の作品です。
6日から10日まで、華道総司所は会議週間となります。私もほぼ毎日会議のため大覚寺へ。7 日の会議が終わり、拝観の方もお帰りになられた午後5時。時を告げる鐘の音。暖かで柔らかな陽射しに美しく映える諸堂の風景を、独り占め。
嵯峨天皇御宸翰の勅封般若心経が60年に一度、戊戌の歳にだけ開封されます。来年がその60年に一度、弘仁9年818年から数えて20回目1200年目の御開封となります。平成30年の10月~11月に行われる戊戌開封法会の英語版のパンフレットが本日発表されました。日本語の物も、もちろん総司所にあります。
華道芸術学院は、本所・地区併せて11か所の拠点があります。それぞれ、研究科と専修会が開催されていて、受講生の方はご自分の階級に応じてクラスにわかれ、毎月研究されています。本所専修会は大覚寺の中にある華道芸術学院の建物でおこなわれており、ここには平日の専修会以外に、日曜日のクラス「自然塾」があります。
5日は青空が広がる、暖かい朝でした。
専修会の研究科にあたる、自然塾Bクラスの所定の科目を修了された方に、本所講師の資格が授与され、また皆勤賞・精勤賞の表彰がおこなわれました。年度末の試験をクリアされ、本所講師を頂かれたら、次はいよいよ専修会に所属 できることになります。専修会の授業は、年度末の試験がなく、幅広く深い、そして楽しい世界が待っています。意気揚々と証書を受け取られる皆様の笑顔に、私も新鮮な感動を感じる一時を持たせて頂きました。
大丸のHPより
http://www.daimaru.co.jp/museum/shinsaibashi/ikebana_1703/index.html
嵯峨御流は大作1席、中作1席が前後期それぞれ作品も出瓶者も入れ替わって、作品を発表します。ジュニア展には嵯峨御流から、前期4名、後期4名の高校生までのジュニアが出瓶します。
本展の各流女流華道家の作品はパワフルで見応えあり、春に先がけて開催されることもあって人気のある花展ですが、その人気を凌ぐか?と恐れるほど好評なのが併催のジュニア展です。その可愛らしさ、パワフルさ、自由奔放さには、脱帽です!
私は後期出瓶ですが、ぜひ、前後期の力作をご覧くださいませ。
昨年のジュニア展の様子
知恩院 和順会館において開催された「都の花会」は、六世御家元大津光章先生の跡を継がれる、副家元大津智永先生+門下の方が企画運営されると、家元からのご案内状に書かれていました。会場構成も花材にも、随所に新しい風が感じられ、素敵な花展を拝見させて頂きました。
近鉄百貨店和歌山店において3月1日から6日までの会期で開催された「和歌山県いけばな協会展」を3月5日に拝見しました。この日は後期展の2日目で、会長岡田芳和先生をはじめとして役員の先生方に会場でお迎え頂き、先生方にご挨拶させて頂くことが出来ました。
<常春の和歌山>と会長がご挨拶に書かれていた言葉が相応しい、暖かい日になり、美しい春の花々や凜とした古典花をゆっくりと楽しませて頂きました。
私は後期展を拝見しましたので、後期ご出瓶の嵯峨御流の作品を、私のスナップ写真ですが、ご紹介致します。
この様子は嵯峨小学校のHPに掲載されていますのでご覧ください。
http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=110402&type=1&column_id=950408&category_id=2044
この写真は嵯峨小学校HPより。向かって右は草津栄晋総務部長、左は年2回の授業を担当された嵯峨御流の島満甫教授。
嵯峨小学校では、毎年2度、6年生全員が大覚寺を訪れ、いけばな体験をされています。そして、この体験を生かして、卒業制作として学校の廊下を端から端までいけばなで埋め尽くす「嵯峨小学校花校路」を毎年自分達でいけあげられるのです。
10年以上、毎年開催されているもので、今年も楽しみに3月2日に拝見して参りました。
中村貴子校長先生にご案内頂き、「花校路」の隣の部屋に展示された、「嵯峨百人一首『こもれび殿」」も拝見。部屋一面に約90名弱の歌かるたが展示されていました。いけばなを体験したことが歌になっている句を、先生のお許しを頂いて写真に撮らせて頂きました。どの句も、自分達が体験した<嵯峨の宝>である、伝統文化やかけがえのない美しい自然など、誇りに思う事を素直に歌にしていて心から感動しました。地域の歴史を知り、自分が関わる風景を愛する気持ちを、いけばなで表現された嵯峨の子供達。これからの人生に、花がもたらす喜びを世界平和に役立ててほしいと思います。
【嵯峨小学校の校章・校旗の由来】
昭和47年発行の、嵯峨小学校創立100周年記念史「嵯峨小学校百年の歩み(年史)」によると、「嵯峨の地における教育の沿革は、室町時代以前のごく古いことはしばらくおき、江戸後期においては旧嵯峨御所大覚寺が民政、教育の本源であったことを、古記録でうかがうことができる。文化年中に至って、初めて大覚寺に学問所が創設され、准三宮瑜伽定院がたいそう儒学を重んじられて、儒官(漢学を教授する役人)野口左門という人に子弟の教育に当らせ、(中略)・・・大覚寺学問所はその後閉されたが、この精神はやがて新学制による嵯峨校に継承された。後年定められた嵯峨校校章の山山の図案も、校旗に表された桐竹の模様も、旧嵯峨御所大覚寺蒔絵の桐と鳳凰竹に由来するものであるという。」とあります。明治5年に学制が発布され、嵯峨地域に初めて小学校ができたのがその年8月に開校した「上嵯峨校(後の嵯峨校)」、翌年3月に「嵐山校」ができた、ということです。
右京区役所及び右京区民文化普及会では,毎年2月,「右京区民美術展」を開催しておられます。右京区在住のアマチュア美術家による作品展、および 「右京区内高等学校絵画展」(右京区内の高等学校の生徒を対象とした美術展)で、会場には毎年、京都嵯峨芸術大学の嵯峨御流華道授業履修生が3作、会場花をいけさせて頂いています。
今年は第30回ということで、美術展審査員の作品展示と、第30回記念事業「右京区民いけばな及びフラワーアレンジメント作品展」が併催され、私も審査員として、「富士」を挿花展示致しました。
会場には、日本画、洋画、書、写真、工芸、と様々な分野の作品が展示されましたが、私のブログでは、いけばな作品のみスナップ写真でご紹介させて頂きます。
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