いけばな嵯峨御流

華務長の部屋

いけばな嵯峨御流 華務長
華道家

辻井ミカ

Profile

辻󠄀井ミカ先生は、祖父・父の跡を継ぎ昭和43年より嵯峨御流に入門され、平成2年派遣講師となり本格的に華道家としての活動を開始される。

平成8年華道芸術学院教授に任命されたのを始め、華道評議員、華道理事、華道企画推進室副室長等の総司所役職を歴任、平成16年より平成26年3月まで弘友会司所の司所長に就任される。

そして平成26年4月1日より華道総司所華務長に就任。
現在、日本いけばな芸術協会常任理事、大正大学客員教授を務められる。

華務長からのお知らせ

友より、便り 届く

梶の葉にしたためられた文字は、
「健やかでありますように」
いつもいつも、友の言葉に勇気をいただきます。

6月18日。いけばなインターナショナル(通称I.I.)京都支部のお招きを受け、デモンストレーションをいたしました

ホテルブライトン京都 慶祥雲の間にて開催されたI.I.京都支部6月例会には170名を超える方々がお集まりになり、大変華やかで晴れやかな雰囲気です。小田ひさ甫会長の、英語日本語でのご挨拶ののち、嵯峨御流独特の景色いけを大きな作品にして、約1時間デモンストレーションでご覧いただきました。
 
約10メートル幅の舞台にいけた3作品は「沼沢の景」「深山の景」「海浜の景」です。
沼沢の景はガラス器を4つ用いて、湿地帯に育つ時候の花を取り合わせ、一番前には睡蓮をいけて水辺の涼感を表現。
深山の景では3mの白杉を用いて京都北山の風景を描き、はるか桟敷ヶ岳の辺りから高尾山を通り清滝へと流れる清滝川の渓流を、青楓の重なりの下に表現しました。
海浜の景は、スケルトンの器にカスミソウ、デルフィニウムなどを波頭に見立てて。その波間から「椰子の実」を、浜辺に流れ着くあの有名な童謡を連想して。
 
本日の舞台は、I.I.京都支部の役員の方々の親身なご配慮と熱意、いつもデモンストレーションで一緒にいけてくれる人を中心としたチームの力、客席の応援とお見守りのお力のおかげで無事終えることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。カスミソウの花言葉「清らかな心」「感謝」にわたくしの心を通わせていけさせていただきました。
 
いけばなインターナショナルは、いけばなのすばらしさと日本文化の紹介を通じ、相互理解と友好の輪を世界に広げる趣旨で、故エレン・ゴードン・アレン夫人により1956年に東京に設立されました。現在世界50カ国あまりの国と地域に160以上の支部、およそ7500人の会員を有する公益社団法人で、5年ごとに日本で世界大会が行われ世界からいけばな愛好者が日本に集われます。来年2025年4月25日から28日まで京都国際会館で第13回世界大会の開催が決まっており、嵯峨御流も27日にデモンストレーションをすることになっています。

古流松應会いけばな展を拝見しました

古流松應会いけばな展が、東京日本橋のコレド室町で開催され拝見させていただきました。
お家元千羽理芳先生のお作品のみお写真でご紹介します。

創立95周年記念いけばな展 「颯~青葉のころ~」

6月15日。昭和4年6月20日創立の東京司所95周年記念華展を拝見しました。会場は、司所創立以来ずっとお世話になっておられる高野山東京別院様です。6月15日、本堂で10:30から青葉祭(弘法大師降誕会)法要に参列させていただき、東京司所が毎年の如く今年もお供えされた献花を拝見しました。
青葉祭法要終了後、玄関前の広場にてご参集の大勢の来客に見守られながら大覚寺執行長伊勢俊雄僧正様ご臨席のもと嵯峨御流いけばな展開会式が華々しく行われ、わたくしもテープカットに参列いたしました。

書院など和の空間を上手く生かされ変化に富んだ作品展示、廊下にも誘いの花々がならび、別室の休憩室は「嘉祥の日」にちなんだしつらえ。作品全てではありませんが、わたくしのスナップ写真でご紹介させていただきます。

本堂から華展会場への回廊

別室 「嘉祥の日」の趣向飾り

京都いけばなプレゼンテーション2024の嵯峨御流作品

6月1日、2日の両日開催された京都いけばなプレゼンテーション2024に出品された嵯峨御流の作品をご紹介します。
 
今回のテーマは<Leaf 葉をいける>
「6月6日はいけばなの日」に因んで毎年開催されるこのプレゼンテーションは、京都市・京都市芸術文化協会が主催されて、京都いけばな協会が協力しているものです。

中西千里甫

秀平彩華・松尾恒甫

天神島から名古曾橋を渡り、名古曾の滝跡へ散策

5月30日。大沢池畔を散策。
 
お堂の回廊を五大堂の観月台まで行くと、そこから直接大沢池に降りることができます。
 
小さい方の池「放生池」の取水口には湿地を好む半夏生と石菖が力強く育っていて、半夏生は6月の終わりから7月の初め頃には白い花が咲き、そのすぐ下の葉が同時に半分ほど白くなる様子が見られる事でしょう。
 
赤い橋の袂から左側を見ると、まだ葉ばかりの白蓮の群れ(まだ花は咲いていません)。
 
赤い橋から右側の大沢池には白い花の睡蓮。
 
天神島へ渡り、天神社をお詣りします。嵯峨天皇の離宮嵯峨院であった今の大覚寺が、皇孫の恒寂入道親王を開山として貞観18年(876)に大覚寺が開創されるおりに、創建のための清和天皇への上奏文を起草され尽力されたのが菅原道真公であられたことから、天神社が祀られていて、島は天神島と呼ばれています。また、菅原道真公は大覚寺の別当を務められたとも伝えられていて、深いご縁があることが伺えるのです。
 
令和6年2月に竣工した「名古曾橋」を渡って名古曾の滝跡方面へ。天神島から名古曾の滝跡への橋は、鎌倉時代の古絵図に既に描かれていたので、この度の再建は700年来となるそうです。長さ15メートル、幅2メートル、木曽檜の太鼓橋です。橋の竣工に合わせて、「きざはし」という花器を嵯峨御流が発表しましたので、こちらの記事もご覧くださいませ。
 
 
滝跡へは中世の遣水の遺構とその周りに広がる芝生の野原を通って行きます。可愛い野の花が沢山!
シロツメグサの合間にピンクの庭石菖など咲いて愛らしいものですね。
野の風情が、この旧嵯峨御所の中には溢れています。京都の中でも、平安時代の雰囲気を味わえる希少な場所といえます。
 
名古曽の滝跡。平安時代の歌人、藤原公任が「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠まれたことから、名古曾の滝跡と呼ばれるこの滝跡は、平安時代にこの場所が離宮嵯峨院であった頃からここにあり、今も変わらず在り続けています。

半夏生と石菖

睡蓮

白蓮の立ち葉

天神島から菊ヶ島を臨む

シロツメグサとニワゼキショウ

名古曾滝跡

名古曾蓮

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