7月25日の遊花一日夏期大学でのデモンストレーションの為に、採取して下さった葦。
酷暑の中を、材料集めの為に川辺まで足を運んで下さった方のご苦労を思いながら、有難くいけました。
『古事記』の冒頭 創生の神々を述べたくだりに、早春の湿地に生える葦牙を崇めて「宇摩志阿斯訶比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)」と記されています。「うまし」は「美し国(うましくに)」などというように、良いものという意味。「あし」は葦。「かび」はカビと同じ語源で、醗酵するとか、芽吹くものという意味。すなわち、「あしかび」は「葦の芽」のことになります。葦の芽吹く力強さから、生命力を神格化し活力を司る神として、男性の神の呼称「ひこぢ」が付された神の名前です。
創生に現れる五柱の神のうち、実体をそなえているのは この葦の神だけなのです。
楽屋にストックされていた、手のひらに載るほど小さ葦牙を、我が家へお連れ致しました。
「四国八十八ケ所 牛子華の山水画世界」を拝見しました。
7月29日、空海ゆかりの四国八十八ケ所を背景に描かれた、雄大で繊細な水墨画作品の展覧会を拝見しました。牛子華(にゅう しか)先生は中国陜西省出身・愛媛県在住の中国山水画家です。
展覧会は、京都文化博物館5階にて、8月2日まで開催されています。
写真は、左から、牛子華(にゅう しか)先生。
この展覧会をご紹介くださった、嵯峨御流の萩原茂洲先生と、奥様。
中国西安市の青龍寺を描かれた大作の前で。
月刊『嵯峨』8月号の門跡様のお言葉は「無功徳」。ご法話には「これは六世紀前半、当時中国を治めていた武帝とインドから中国に禅を伝えた達磨大師のやりとりです。仏教を厚く庇護した武帝は、その功徳としてどんな善いことが自分に起こるかと尋ねます。それに対して達磨大師は「無功徳」と答えたのです。一見すると大師の答えは冷たいものに感じますが、これは自分への見返りを求めて善行していた武帝への戒めの言葉なのです。
功徳とは、善い行いによって得ることができる利益のことです。善いことを行えば善いことにつながります。ですが自分にとって利益となることを期待しない心で行うことこそ、本当に善い行いとなるのです。」と書かれています。
私のいけばなは、東南アジア原産のバンダ(ラン科)。これは、サンスクリット語の「バンダカ=まとわりつく」という意味が属名バンダの由来となったものです。
根の面白さも見どころの一つとしていけました。
平成27年7月25日、「遊花一日 夏期大学」テーマ『美し国 日本』デモンストレーション&ワークショップが開催されました。
華道総司所会員限定企画として「遊花一日 夏期大学」が大覚寺内華道芸術学院において開催され、230名余りの方が受講されました。
この日の早朝、寺内にある日本現存最古の林泉・大沢池では、「観蓮節」が行われ、中国古来の消夏飲酒法である象鼻杯がふるまわれました。
蓮の葉に酒を注ぎ、その酒を、長い茎の先端から飲む その様子が象の鼻のようであることから名づけられたもの。とても優雅な楽しみと言えます。接待役は、千早の装束を付けた嵯峨御流会の先生方です。
遊花一日夏期大学、会場である華道芸術学院1階ロビーには、担当講師6名でいけた迎え花「豊葦原瑞穂の国」の大作。(暖竹・伊吹・ルトジ)。また、1階2階の廊下には15~16作のガラス器を用いた心粧華。
午前の部は、テレビにも度々出演しておられる吉村作治先生の講演。テーマは、「世界遺産・古代エジプトから見た蘆の文化」で、エジプトの古代紙パピルスや、葦に関する話、また16弁の菊と蓮との関連性について、そして古代エジプトもそうであったように日本人が持つ<自然を神として尊ぶ心>こそ未来の地球に必要な<自然との共生>の心ではないかという、興味深い話題が次々と語られ、1時間があっという間にすぎた講演でした。
午後は、いけばなデモンストレーション。 テーマは「豊葦原瑞穂の国」を、服部孝月 華道企画推進室室長と私が担当しました。
服部先生のデモは、「葦一色のいけかた」。嵯峨御流奥伝の伝書には、「我が国の未開時代は、いまだ国をなさず、一面の青海原に初めて一つの葦が生じ、それが次第に蔓ってついに大いなる島となり、豊葦原磤馭慮島(とよあしはら おのころじま)動きなき大和島根と称するようになった」とあり、葦はわが国の源をなすものでみだりに取り扱うことを禁じています。この花をいけるときは、香をたき、室を清浄にする、などの最高の配慮をすることが心得事として書かれています。デモンストレーションに先立って、1階講堂2階教室の各会場には 香を焚いた香炉が柱ごとに置かれ、室を清浄な香で浄めて頂きました。
古事記・日本書紀の神話と神々の話しを交えながら、いけあげられました。
続いて、私のデモは、真塗の花衣桁を用いて、葦のある風景画を描くように。
下に置いた水盤には、様々な種類の葦・パピルス・しゅろがやつり・蒲・燕子花・
河骨・菱・名古曾蓮など。
向かって右の懸け花は、葦の新芽が川の流れのなかで茎を伸ばした、まるで蔓のよ
うな姿のもの。大覚寺に咲く槿を添えて。
向かって左の懸け花器は、煤竹 銘「杖頭」 久田宗也書付。花は楓と仙翁。
釣り籠器は玩々斎作。大沢池の白蓮。
服部先生と私のそれぞれのデモが終わり、次に二人同時に荘厳華をいけ
ました。荘厳華は、神仏へ備える立て花形式の花態です。
荘厳華「真」花態=金明竹・夏櫨・キキョウラン・擬宝珠・鶏頭・女郎花・
キキョウ 他。
荘厳華「行」花態=アナナス・ナナカマド・擬宝珠・紫陽花・鉄線 他。
ワークショップは、暖竹・パンパス・アンスリウム・クッカバラ・スモークグラス
を用いて、受講生それぞれ思い思いの取り合わせで、「祈り花」「空相の花」を
いけていただきました。
今回の「遊花一日」では、テーマを古代の神話に求め、花を愛する人たちとともに、テーマと花にひととき無心になって遊ぶ心持ちで楽しく過ごしていただきたいと思い、企画したものです。これからの社会で、何を大切にしなくてはならないかということも、花を通じて一人一人が考えて頂くきっかけになれば幸いです。
この企画を遂行するに当たり、多くの方々の御協力を頂きましたことに感謝申し上げます。
7月24日、今年で13回目を迎える「生花コンペ」が開催されました。応募された全国の門人の中から先着50名の方が、嵯峨御流華道芸術学院地下ギャラリーで腕前を発揮されました。今年の花材は伊吹です。厳正な審査を経て、優秀賞2名、佳作7名が選ばれました。日頃の腕前を発揮できた方や、いつもはいけられるのに今日はうまくいかなかった方などいらっしゃったことでしょう。作品からは、一生懸命さや誇らしさ悔しさなどがひしひしと伝わってきて、拝見する私にもエネルギーが湧いてきたような思いでした。
受賞作品は名前が置かれて、いけられた50作の作品は、翌日25日の「遊花一日 夏期大学」の受講者にも一般公開されました。
受賞された皆様、おめでとうございます。惜しくも今回は選ばれなかった方の作品の中にはとても惜しい作品が沢山ありました。皆様の益々のご研鑚と、次回にまた挑戦して下さることを期待しています!
京都の祇園祭に協賛していけられた嵯峨御流の作品を拝見してきました
京都の祇園祭に、7月15日から17日までの3日間、京都いけばな協会所属の流派代表が、四条通りの各店舗を飾るいけばな展が開催されます。今年で第31回目になるそうです。嵯峨御流は垣花悦甫先生が出瓶されました。場所は信用金庫のウィンドウで、涼しげな暖竹や葦を用いて、景色いけがいけられていました。
旧嵯峨御所大覚寺門跡において、非公開の文化財「秩父宮御殿」が一般公開されています.「京の夏の旅・文化財特別公開」7月11日~9月30日
809年に即位された第52代天皇の嵯峨天皇様が、即位される前から嵯峨野の地を気に入られ、ここに天皇の離宮を建てられたのが後に大覚寺となりました。孫にあたる恒寂法親王様が門主となられ、以来、門跡寺院として現在に至り、境内は様今も王朝の雅な雰囲気を漂わせています。特別公開の「秩父宮御殿」は今上天皇様の叔父にあたる秩父宮様の御屋敷の建物です。大正12年に東宮仮御所の霞ヶ関離宮(現在の国会前庭)に建てられ、その後 昭和46年に大覚寺に貴賓館として下賜されたもの。今上天皇様、またご幼少の頃の浩宮様が大覚寺に御成りの折も、このお部屋でご休憩になりました。八畳座敷と八畳次の間、十畳の間の三部屋があり、建物内部は上品な色彩の花鳥の襖絵で飾られています。この襖絵は、御殿の雰囲気に合わせて、昭和46年に描かれたもので、林 司馬(はやししめ)先生ほか数名の日本画家によって描かれたものです。
京都市観光協会「京の夏の旅」HP
http://www.kyokanko.or.jp/natsu2015/natsutabi15_01.html#06
京都では、祇園祭が始まりました。
869年(貞観11年)、京の都で疫病が流行したため当時の国の数である66本の矛を神泉苑に立てて、悪疫退散を祈るために行われた祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)を始まりとして1100年以上の歴史があります。7月1日の吉符入りから31日の疫神社夏越祭(えきじんじゃ なごしさい)までの1か月間、ほぼ毎日様々な神事が執り行われます。
この季節には、皆様のいけばなのお稽古でも、檜扇(ヒオウギ)をいけておられる事と思います。この檜扇は、アヤメ科の植物で、扇を開いたような葉の姿が特徴です。古代、檜扇は悪霊退散に用いられたことから、怨霊の怒りを鎮めるために始められた祇園祭には特に“祭花”として檜扇が欠かせないものとされてきました。夏に橙色や黄色の花を咲かせるこの花は、お祭りの風物の一つとしてよく民家の軒先などに飾られていたのですが、昨今は少なくなってきたようです。
今年、祇園祭に檜扇をいける文化を、花卉生産者・流通・小売・自治体の関係者でつくる「京都府花卉振興ネットワーク」が各山鉾町によびかけて、33の山鉾町のうち、約半数が展示してもらうことになった、という取り組みが京都新聞で報道されました。素敵な檜扇のいけばなが鉾町の家々を飾る・伝統的な風景の復活に尽力されている活動が紹介されている誌面をご紹介いたします。
平成26年6月に成立した「花卉の振興に関する法律」が、平成26年12月1日に施行されました。日本伝統文化いけばなの花材を提供する、花卉生産者を守る国の法律です。
京都新聞に掲載の記事です
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20150711000062
7月3日、大覚寺第六十世門跡片山宥雄大僧正猊下の追悼法会が、大覚寺心経前殿に於いて行われました。片山猊下御自坊の明王院・寒水寺の御住職様や檀信徒の方々はじめ、真言宗各派御重役、真言宗大覚寺派寺院、嵯峨御流華道家、大覚寺職員などにより11時から黒沢全紹門跡猊下お導師の元、法要が行われました。法要が終わり、服部精村執行長・耆宿の江頭弘勝僧正様に続いて、私も嵯峨御流を代表してご挨拶申し上げました。片山大僧正猊下の思い出は語り尽せないほど多くありますが、8年に渡る門跡のご重責の後、ご退山なさる日のお姿を忘れることができません。大覚寺玄関門でお見送りの為に長い列を作ってお待ちしていた職員の方々や私ども華道の関係者一同は、寂しさに心が詰まる思いでございましたが、門をくぐる直前にこちらを振り返られ、さっと手に持たれていたカメラでお見送りの列にむかってシャッターを切られて、ニコッと最高の笑顔で門をお出になられました。嵯峨御流門人一人一人にとりまして、猊下はいつも輝く光のような存在でいらっしゃいました。ここに言い尽くせない、心からの感謝をこめ猊下の荘厳浄土をお祈り申し上げます。
「大覚寺カフェ」ができました。といっても、インターネット上のお話しです。
ホームページをご覧ください。
http://daikakujicafe.com/
(上記のホームページから一部引用させていただきます)チュートリアルの二人が、久々のオフに自転車で京都の街を散策。生まれ育った京都の良さをもっと広めていきたいという思いが高まった。でも、どうやって?
福田の趣味は料理。徳井は接客が得意。それならば京都の良さを発信できるカフェをつくろう!
ふと見ると、そこは大覚寺。その名前を借りて、大覚寺カフェはスタートした。
大覚寺カフェオープン記念イベントの様子が、このページに掲載されています。
http://news.yoshimoto.co.jp/2015/06/entry37806.php
(上記のアドレスの記事から、一部引用させていただきます。
嵯峨天皇の離宮として建立された大覚寺。1200年の歴史を誇る同寺は”いけばなと写経の寺”として名を馳せており、2018年には60年に一度となる式年事業を控えている、由緒正しき寺院です。このたび、大覚寺の”伝統と価値”をより多くの方々に感じていただくことを目的に、ウェブを中心として「大覚寺カフェ」ブランドのスイーツ
やグッズを展開することとなりました。そして、京都府出身のチュートリアルがイメージキャラクターに就任! 徳井が店長、福田がシェフを務めます。
6月25日(木)、東京・ヨシモト∞ホールにて『祝!「大覚寺カフェ」オープン記念イベント』が開催され、チュートリアル、スイーツ親方・芝田山康親方、新日本プロレスリング・真壁刀義ことスイーツ真壁さん、でんぱ組.inc・最上もがさん、「patisserie CALVA」オーナーシェフ・田中二朗さん、ピース、おかずクラブ、チョ
コレートプラネットが出演しました。
そうこうしているうちに、チュートリアルも登場。大覚寺カフェ開設の経緯について、徳井は「お寺さんは格式高いので敷居が高い雰囲気もあるんですけど、カフェにすることによってより身近に触れてもらおうと思った」とコメント。観光大使も務めている2人。「今回、初めて大覚寺に行ったんですけど、時代劇で使われている広沢
の池もあって、すごくよかった。僕らも大覚寺さんの凄さをPRするお手伝いをしていきたいですね」(徳井)と意気込みました。
(つづく)